月別アーカイブ: 2012年2月

ボサノバへのいくつかの入り口(その4)

4.ボサノバへの入り口その4〜ジャズ
雑誌とかでネオアコの女性ボーカル(例えばトレーシー・ソーンとかアリソン・スタットンとか)について語られる際によく引き合いに出される存在として、アストラッド・ジルベルトの名前は割と早くから知っていましたが、実際にアストラッド・ジルベルトの唄を聴いたのは90年頃、ジャズの名盤ディスクガイドみたいな本を読んで「ゲッツ・ジルベルト」のことを知り、CDを買ってからのことです。そのとき感じたことは、
・アストラッド・ジルベルトの唄はまぁ予想通り。
・ジョアン・ジルベルトの唄は、うーんなんだこの地味で冴えない感じは。
・スタン・ゲッツのサックスは朗々と歌っていて良いけど、ほかのバッキングも含めてもろジャズだな。
といったところでしょうか。一言で言うと、アストラッドの唄以外は初期ネオアコで刷り込まれたボサノバのイメージとはかなり異質な音楽という印象でした。

でも、このイパネマの娘でボサノバは世界的に知られるようになったわけで、これをきっかけに当時ボサノバを取り上げたジャズ作品はたくさん作られたようですし、今でもジャズの世界ではボサノバのスタンダードは定番レパートリーとして完全に定着していて、割と最近発刊された「ボサノヴァハンドブック」は”the real book”(ジャズセッションで使われる簡略化されたメロディとコードだけの曲集)のボサノバ版として活用されつつあるようです。

Wikipedia

アメリカではボサノヴァ・ナンバーに英語詞を付けたものが、ポピュラー歌手によって盛んに歌われた。だが、その実状は多分にエキゾチシズムを帯びた一過的なものとして消費された感が強く、歌唱や演奏の在り方も、本来のボサノヴァからはかけ離れたものであった。その傾向は日本においても共通するようである。この「本来のボサノヴァ」と「ボサノヴァ風の亜流音楽」の並立は、現代のリスナーの相互間に、奇妙な階級対立を招く原因となっている。

という書きっぷりは、どうもジャズ側には好意的とは言いがたい感じですが、私なんかはインド料理とカレーライス(カレーうどんも可)の関係みたいなもんで、ことさらに「本来」とか「亜流」とか言わんでもいいんでないのかなと思います。ただ、ボサノバにはいろいろな世界とそこに属する人々がいて、相互に微妙な関係(あるいは無関係)を持ちつつ併存していることは確かではあります。階級対立かどうかはしらんけど。


ボサノバへのいくつかの入り口(その3)

4.ボサノバへの入り口その3〜本家ブラジル(日本向けリバイバル?)
 やや話は前後しますが、EBTGとかを聴いていた80年代半ばころ、本家ブラジルのボサノバってどんなんだろう?という好奇心から買ってみたのが、ナラ・レオンの「イパネマの娘」というアルバム。そのころ普及し始めたCDプレーヤーを買ったばかりだったということで、初めて買ったCDの中の一枚です。ナラ・レオンがホベルト・メネスカルとともに来日公演を行った際、日本のミュージシャンも交えてごく短時間で作られた作品だそうですが、今思うとボサノヴァのスタンダードがずらりと並んだ初心者向きにはもってこいの内容でした。ナラ・レオンの唄も力の抜けた微妙にヘタウマな感じで、ネオアコファンにも違和感のないものだったと思います。一方、バッキングはネオアコとは違うニュアンスが感じられて、「これがブラジルっぽさなのかなぁ」と何となく思った記憶があります。


ボサノバへのいくつかの入り口(その2)

3.ボサノバへの入り口その3〜お洒落なカフェミュージックとか
 EBTGが90年代半ばに「ドラムンベースは現代のボサノヴァ」と言いながらMissingのリミックスバージョンやそれに続くWalking Woundedをリリースしたとき、「初期EBTGの感じが戻ってきた」といった趣旨のレビューをいくつか読んだことを覚えています。それまでのEBTGはリラックスした感じの質の高い音楽を作り続けてはいましたが、初期EBTGのひりひりした感触は次第に薄れていったということかと思います。
 その頃、私はUターン転職で東京から札幌に戻ってきていて、仕事が終わると毎日のようにホールステアーズカフェという店でお茶していたのですが、そこでよくIdelwildとかWorldwideといったその頃のEBTGのアルバムがかかっていました。それを聞きながら感じたのは、何かひとつの時代が終わってしまったようなたぐいの穏やかさでした。
 話が私事になってしまいましたが、言いたいのは初期のネオアコと呼ばれる音楽が持っていたニュアンスは、比較的短い間になくなっていったということ。変わって台頭してきたのが、輝かしいギターの音が印象的なアズテック・カメラを筆頭とするギターポップであり、アンテナを源流とするお洒落なフレンチジャズ・ボサノバ・ソウル(っぽい音楽)でした。そしてそれらは90年頃からフリッパーズ・ギターなどの先導のもと日本で渋谷系などと呼ばれる展開を見せることになったということかと思います(なんか人ごとっぽい言い方だけど、この辺りの状況ってあまり良く知らないんです)。ボサノバというと「お洒落なカフェミュージック」的な受け止められ方をすることが多いと思いますが、その原点はこの時期の「ファッショナブルなラウンジ・ミュージック」的な盛り上がりにあったのかなぁとおぼろげながら理解しているんですが、どうなんでしょうか。

 ちなみに、先日OTTさんのライブを見に行ったはすとばらで、アンテナの87年の作品Hoping for Loveがかかってました。ものすごく久しぶりに耳にしたのですが、確かに「お洒落なフレンチジャズ・ボサノバ」の源流だよなと思いつつ、どこか変というか引っかかりのある音なんですよね。88年のアルバムOn a Warm Summer Nightのアマゾンのレビューでこやすみちこさんという方が「アンテナの魅力は、なんといってもジャズやボサノヴァなどの本来オーガニックな音楽(サウンド)をどこかイビツに聴かせてしまうところだと思う」と書かれてますが、確かにそういうところはあるように思います。ジャズやボサノヴァって本来オーガニックな音楽だったのか、実はいびつな音楽だったんじゃないのか、という話はあるかもしれないけど。


ボサノバへのいくつかの入り口(その1)

「ボサノバとは何か」みたいな話は、たとえばWikipediaとかを読んでいただくとして(ただし書きっぷりは必ずしもニュートラルじゃないような印象も)、ここでは私がボサノバという音楽に触れてきた中で感じたさまざまな側面について書いてみようと思います。

1.前史
中学か高校の頃、フォークギターをやってみようと思って買った教本の巻末に、「ボサノバは高級なコードを使うので弾き方の説明は割愛する云々」と書いてあるのを読んだのが、ボサノバという言葉に触れた最初の機会でした。「なるほど、ボサノバは高級なコードを使うのか」と思う一方で「高級なコードってなんやねん」と疑問に思ったのをおぼろげながら覚えています。

次にボサノバ的なものに触れたのは、80年代初頭の日本のアングラなロックバンド、突然ダンボールの「成り立つかな?」というアルバムの2曲目に入っているイパネマの娘のカバーです。ただ、これはボサノバとはかけ離れたアレンジだったため、「イパネマってなんやねん」という疑問を覚えただけで、音楽スタイルとしてのボサノバはまだ全く意識することはありませんでした。何しろ聴いたことが全くなかったわけですから。

2.ボサノバへの入り口その1〜ネオアコ前期
82年頃、チェリーレッドやクレプスキュールといったレーベルから、トレーシー・ソーンとかベン・ワットとか二人が結成したEBTGとかアンテナとかいった、その後ネオアコと呼ばれることになる音楽がリリースされるようになりました。主にアコースティックギターまたはクリーントーンのエレキギター(デジタルディレイとかを効かせたものも多かった)をフィーチャーし、ジャジーなコードワークを駆使しつつもシンプルな弾き語り音楽という特徴のため、リズムパターンはボサノバとはずいぶん異なるものが多かったにもかかわらず、ボサノバ的であると評されることが多かったように記憶しています。
一方で、これらの音楽はパンク〜ニューウェイブの文脈のものとして認識されており、実際にひりひり・ぴりぴり・ざわざわしたニュアンスを多分に含むものであったと思います。
当時大学生だった私は当時これらの音楽(その先駆的存在であるドゥルッティ・コラムやヤング・マーブル・ジャイアンツも含めて)にすっかりはまってしまいました。それはいいんですが、同時に「ボサノバとはこういう音楽なんだ!」と思い込んだことで、その後の足取りが少々面倒なものになったかなぁという気もしています。でも、今でも自分にとって(特に曲を作るときには)ボサノバとはこういうひりひりした文脈での音楽であり続けているんですよね。三つ子(じゃないけど)の魂百までというか。(続く)


Dave Evans “The words in between”

過去ログを整理していて感じたのは、音楽関係の投稿が思ったよりも全然少ないこと。自分の演奏や曲については最近あれこれ書くことも増えたけど、聴いたり観たり読んだりしたものに関する話はかなり乏しいなぁと反省。

そんなわけで、レビューっぽいコンテンツの充実に向けた第一弾はDave Evans “The words in between”。1971年の作品ですが、無茶苦茶達者で味わい深いアコギをバックに素朴な歌がのるというブリティッシュフォークの特産品です。聴いていると程よい緊張感を味わいつつなごむ感じがして、とても気持ちよいですね。
ちなみにこの作品、前にネットで調べた時にはCD化されていなかったような気がしていたので、先日ディスクユニオンでアナログレコード見つけてあわてて買ったのですが、その後調べたらしっかりCD化されてた・・・。うーむ損した。このジャケットではでかいアナログ盤持っている甲斐もないし。まぁレコードで聴くとなんか気分が出るタイプの音楽だとは思うんだけど。
それにしても初っぱなから全然ボサノバじゃないな。