月別アーカイブ: 2012年5月

中高年の歌詞

誰の目から見ても中年(もしかしたら初老)以外の何物でもない年齢まっただ中な私。

そんな私が曲を作り歌詞を書くわけですが、どういうテーマで歌詞を書いたらいいのか、いまの自分にとってリアリティのあること・ぐっとくることって何だろうとぼんやり考えたりします。

子供の頃、中高年の歌というと、初老以上は軍歌だったり、中年は演歌だったりしたわけですが、いざ自分が中高年になったらといって、軍歌や演歌にリアリティを感じるようになるわけもありません。さりとて、万年青年よろしくボーイミーツガール的な初々しいものを書くかというと、それもやっぱり違う気がする。

「中年」というだけあって人生の中間地点ということで、人生の始まりと終わりがおおよそ等距離に見えて、どちらも現在地からはずいぶん遠いのだけど確実に地続きという感覚。
その現在地は身もふたもなく現実的なんですが、若さや老い・あるいは生と死との地続き感覚のせいか、ざわざわしたりぼんやりしたり。あるいは時間感覚が長くなったり短くなったりするときのくらくらする感じとか、

なんかそんな感じです(うまく説明できないので尻切れトンボ)。


端境期というかスランプというか

いや、音楽の話なんですが。
去年12月にCD出して、ライブをちょろちょろとやって、さて次どうしようかというところで、先の見通しがぼんやりしてしまっています。
節奏の無い音楽的嗜好からしてボサノヴァ一筋!というのはどうも違うような気がする一方で、長年あれやこれやと音楽的ダッチロールを続けた結果、現時点で曲がりなりにも何か作ることができたのはボサノヴァだけでもあるわけで。

こういうときには、淡々粛々とスランプをやり過ごすのが吉と決め込んで、修行モードに入っています。家ではトラヴィスピッキングとクロマチックスケールの練習とボサノヴァ曲の復習を淡々とやり、そして朝はスタバでソフトシンセをだらだらといじっているという。この、近いうちに何か成果が出そうな予感が全くない感じは正直なところ滅入りますが、そこは年の功というか、こういうスランプな感じをやり過ごしてきたのは一度や二度ではないので、せいぜい楽しみたいと思います。基本的にこういう非生産的な気分は嫌いではないし。


あばらやカフェ

近所の本屋で見かけたOZ magazineが自由が丘・東横線大特集だったので買ってみました。
「東横線大特集」と銘打っているだけあって、多摩川の向こう(神奈川県)の情報もある程度載っているので、たとえば武蔵小杉とかはどうだろと思ったら、トップに1ページまるごと使って載っているのが64 cafe+ranai。いやーすっかりメジャーな存在になりました。
この店の外見はなかなかすごいです。わりと広い駐車場の奥というロケーションもすごいですが、駐車場の手前から見ると、雨水がしみこんで灰色になったようなモルタルの感じが醸し出す雰囲気はあばらや以外の何物でもありません。でも、店の中にはいると居心地がよくて、初めて訪れたとき一目で気に入ってしまいました。

・・・いや、こういうあばらや系の店って好きなんですよ。
たとえば田園調布駅前のDELI&CAFE5の前身のSandwich Islandsは、屋内に落ち葉が舞い、隙間だらけの床下からは風が吹き上げ、そしてベランダや二階は鉄パイプとビニールシートでできているという、あばらやの中のあばらやでしたが、なんともいえず居心地のよい店でした。食い物も安くて美味しかったし。今のDELI&CAFE5も決して悪くないのですが、どうもあばらや感がないのが物足りないんですよね。
その隣の隣にあるリストランテ PASTA RIというイタリアンもすごいです。てっぺん近くにエンジェルのついた建物の年季の入り方もすごいですが、こちらのベランダはやはり鉄パイプにビニールシートで(田園調布の様式なのか?)、随所で壊れた手すりに間に合わせ的な応急措置しかしていないのもあばらや的です。が、そんなベランダは真冬の寒い夜でも暖房が効いていて実に居心地がいいんですよ。ディナーも3000円くらいとリーズナブルだし。

【追記】
なお、「あばらやカフェ」は「古民家カフェ」とは違います。
「古民家カフェ」は、京都の町家に代表されるような年季の入った伝統的和風建築の魅力を打ち出しているのが特徴だと思いますが、一方あばらやカフェの特徴はもっと身も蓋もないものです。すなわち「雨水のしみた灰色のモルタル」「すきまだらけの床から吹き上げる風」「店内を舞う枯れ葉」「鉄パイプとビニールシート」など、それを魅力と呼んでいいのかどうかためらいを覚える微妙な逆撫で感をうつろな笑いとともに楽しむ世界ではないかと(ちょっとオーバーかも)。でも、そういう特徴が魅力に転化すると、えもいわれぬ居心地の良さが醸し出されるんですよね。


大学時代のゼミの呑み会

昨日、大学時代のゼミの呑み会がありました。
ほとんどは大学を卒業して数年後に何回か会っただけとか、あるいは大学卒業後一度も会っていないとかで、ものすごく久しぶりの再会(今や最後に会ったときの年齢の倍以上生きているともいふ)。

私がいたゼミは、何をやってもいいゼミでした。そんないい加減なのありかよと言われるかもしれませんが。
その結果、他のゼミのテーマはおろか、当ゼミの指導教官の専門や、場合によっては学部や学科の分野自体にすら興味の無い人間が集まったんですよね。というと言い方がネガティブだな。関心のありかが既成の器に収まらなかった人が集まったということにしておこう。

そういう、良くも悪くも規格外の人間が集まったゼミだったので、卒業後は数奇な運命をたどった人が多かったようです。私も卒業時点では2回も転職するとは思ってませんでした。というか将来のことは何も考えてなかったんですが。
でも、確認した範囲では、とりあえず物故者はいなかったようで、皆それなりに元気になっているようでめでたしめでたし。というか、昨日集まった人間に限って言えば、全然変わっとらん。そりゃあちょっと頭が白くなったり(薄くなる系はいなかったな)、横幅が増えたりはしてるけど、でも大学の頃の印象から変わり果ててしまったような奴は一人もいなかったですね。話をしていても、こいつキャラが変わったなという違和感がまるでなく、なんかみんな変わってないなーと。

というわけで、7時に集合してほぼ終電まで飲んでました。
こういう感じならまたやってもいいな、と思える会でした。よかったよかった。


Fred Kelly “Bumble Bee” サムピック

先月紹介したMark D. Hanson “The Art of Contemporary Travis Picking”という教本ですが、その後も細々と練習を続けています。今のところ取り組んでいるのが、“Sloop John B.”、“John Barleycorn”、“Will the Circle Be Unbroken”、“The Trees They Do Grow High”の4曲です。ギターもなかなかうまく弾けませんが、“John Barleycorn”とか歌詞が全然覚えられません。民謡ってやたらと歌詞が長いのが多いんですよね。

この教本には、Travis Pickingはサムピックを使って弾くことが多いと書いてあります。特に、手のひらの手首側の部分で低音弦を軽くミュートするような弾き方をする場合は、サムピックがあった方が弾きやすい事情もあるようです。と言いながら、この本の著者は低音弦はミュートせず手首を弦から浮かせて、サムピックなしで弾いているようですが。

私は低音弦はミュートしませんが、一方でクリアな音が出しやすいのでサムピックは使っています。で、私はギターはレフティ(左利き)なので、サムピックもレフティのものでなくてはなりません。例によってレフティギターの聖地である谷口楽器ではサムピックもレフティ用のものをちゃんと在庫していて本当にありがたいことなんですが、一方でTABスペシャル・サムピックが使いやすそうだなぁと思ってました。トラディショナルなサムピックってすごく分厚いので、ストロークとかをするのは大変だけど、TABのサムピックはしなりがあって引っかかりづらいとのこと。でもレフティ用はないんですよね。

あれこれ探して見つけたのが、Fred KellyというアメリカのピックメーカーのBumble Beeというサムピック。とにかく、サイズも厚みもバリエーションが豊富で(薄いやつは本当にぺなぺなです)左用もあっていうことなし。普通のフラットピックにベルトを取り付けたような構造で、指先からどのくらいピックの部分を出すかを調節できるのも良いです。
ただ、ストロークは普通のフラットピックと同じ感覚というわけにはいきませんでした。もう少し練習すれば慣れるのかもしれないけど。